
Hagiwara
備中の勢を先に立て、左馬助は喜多方を目指した。喜多方を衝けば、檜原は十分な後方支援を得られなくなるのみならず、芦名の本拠地・黒川も指呼の間に入る。
途中、関柴舘の横を通り抜けた。陣をはるつもりだったが、ちらと見れば平地に堀を切っただけの屋敷構、手切れして籠るには何とも頼りない。
喜多方城主柴田弾正は松本備中と同族、会津衆が敵味方の判断に混乱をきたしている間が、喜多方を得る機だ。
あたりの民家が一つ、また一つと火に包まれてゆく。
炎の熱を頬に感じながら最後尾について駒を進める。今頃は政宗が檜原峠を越え、明日には会津領へなだれこむはず。
夕刻にかかり、濃紺になりゆく空の、半ばまでが炎で赤い。
急に前方で怒号が聞こえた。不意に隊列が止まり、たたらを踏んで乱れる。鉄砲の音と、叫び声。
「如何した!」
左馬助は大声で問うたが、応える声はない。敵襲には違いないが、夕闇に紛れ、敵味方の様子が判然としない。兵が逃げ戻ってくるのを叱咤し、崩れぬよう馬を乗り回す。
平田が馬を駆って馳せ戻ってきた。
「黒川の勢が、松本様に当たっております」
左馬助は歯噛みした。会津の本城黒川の勢が出張ってきたとあれば、圧倒的な数の差がある。
「お屋形さまの勢の動きはわかるか」
政宗の檜原侵攻が伝われば、会津衆は分散される。だが、案に相違してこちらのみが突出していれば――
「物見を走らせましたが、未だ檜原に到着なされておられませぬ」
血の気が退くのを左馬助は感じた。
平田の顔が蒼白に震えている。
「ゆえに」
平田が手にした松明を大きく振った。横の闇がざわめいた。
「手柄は会津にて、たてさせていただきまする」
言って身を翻した平田と入れ替わるように、矢が風を切ってふった。
「寝返りは松本備中ただ一人、伊達勢は原田左馬助ただ一人、小勢打ち取らずんば会津の名折れ、包み討ちに討たれよ方々――」
平田の音声が夜陰に響く。
――見誤った!
飛来した何本の矢を切り払い、左馬助は、ぎり、と口を噛んだ。崩れた兵が脇をすり抜け、てんでに逃げ散ろうとしている。
闇の中から現れた敵勢の後ろから、法螺の音が重なった。
「退き鉦を、」
一瞬の迷いを呑みこんで左馬助は叫んだ。
「退き鉦を鳴らせ!」
弾正の兵と左馬助の兵が入り乱れる。混乱しながらも、鉦を叩かせ、集まる兵をとりまとめ、盾をかかげて矢弾を防いだ。何人かが倒れたらしく、人の身体を蹄で踏む感触と馬体の揺れ。
弾が尽きたか暗さのためか、鉄砲の発射が少ないのは救いだ。
元の峠を指し、夜道を駆ける。待ち伏せされていたら、との懸念が頭をかすめるが、不案内の土地、それでも一気に通り抜けるより他にない。
ひときわ大きな火の手が、左手に見えた。関柴舘が燃えているのだ。
(茂助は、備中は――如何なった)
分断されてしまった味方の、行方はしれない。
「後ろにかまうな。ただただ駆けよ!」
郎等を先にたて、自身は率いる集団の殿についた。猪首に身をかがめ、錣を深く、歩兵には盾を背負わせる。追いくる矢玉の勢いをそらすには、ひたすらに走ることだ。
駆けながら左馬助は、追っ手が減っているのに気づいていた。追い払えばそれでよいのか、裏切者を討つが先なのか、いづれかは知らぬがありがたい。
山にとりつき、月のない沢沿いの道を滑落せぬよう、みな徒歩になった。峠にたどり着こうと、休みなく進む。野伏への警戒は必要だが、追っ手の姿はなく、時折振り返って見下ろすと、関柴の集落が赤くくすぶり続けていた。
峠で足を止め、主従は寄り集まって互いを確認した。
「どの程度討たれた」
「小者がかなり――、侍は此処に居るは七騎でございます」
沈鬱な声が応える。
茂助を含む三騎がまだ戻っていない。討たれたものか、山に迷うたか。
うなづいて目を伏せたあと、ふと思い出して左馬助は顔を上げた。
「嘉兵衛、いるか」
これに、と畏まった嘉兵衛の姿に、なぜかほっと息をついた。
「左馬助のこの不首尾、お屋形さまに一刻も早うお知らせせねばならぬ。檜原峠まで道無き尾根だが、駆けられるか」
はい、と短く答えた嘉兵衛の声が、怒りか悔しさか微かに震えている。
嘉兵衛を発たせたあと、休息を命じて、左馬助は峠に立った。眠る気分にはなれなかった。
茂助が戻って来たのは、明け方であった。馬を失い、徒歩姿である。
左馬助の前に膝をついた茂助は、松本備中の討死を語った。姥堂川の河原まで逃げたが、そこで討たれたという。まだ戻らぬ二騎は知らぬが、後に自分の後に続いている者はいない、とも。
「これを」
と茂助は小さな袋を差し出した。布の底には血がにじんでいる。
「なんだ」
「平田の耳でござる」
紐をほどくと確かに左の耳が手のひらの上に転がり出た。
「何やら火事場でほうけておったので、鎗づけいたした」
そういえば。
左馬助は思い出した。きゃつの元の在所は関柴と聞いたやもしれぬ。
「この後に及んでの逆心、捨て置かれぬゆえ、首討って御前にと思いまいたが、こちらも追われる身なれば、耳にて御免候え」
改まった口調とは対照的に、顔は例の如くからりと笑う、――いや、笑おうとして――。
左馬助が茂助の肩に手を置くと、その肩がぴくりと震えた。
「――よう、戻った」
そう声をかけたとたん、茂助の目から涙があふれ出た。
「…………口惜しう、ございます」
流れる汗も涙も構わずに左馬助を見たまま、茂助がきっぱりと云った。
ああ、おれは、敗けたのだ。負け戦だ。左馬助は瞑目した。
「この雪辱はいつか必ず」
茂助が言に大きく、応、とうなずいて、左馬助は立ち上がった。
出発前に左馬助はもう一度峠に立った。
朝日の中に見下ろす会津の盆地、左手に見える磐梯の秀峰。
いつか、必ず。
心中にそう刻んで、馬にうちまたがる。
行きに渡った猿倉沢は、今もどうどうと水しぶきをあげていた。

「成実三昧」の武水しぎの様に 念願の関柴合戦をリクエストさせていただきました。
磐梯山は美しく、茂助さんや平田さんは良い味を出していらっしゃり、左馬は可愛カッコイイ…////
合戦に関する資料も少ない中、このように素晴らしい小説を私などがいただいてしまい、恐縮です!
武水様ありがとうございました。