
Hagiwara
吾妻連峰から飯森山を経て、飯豊山にいたる稜線が、春霞の向こうに美しい。
吾妻の主峰からいくつかの起伏を繰り返しながら下る稜線は、綱木川上流の檜原で最下部に達し、また起伏を繰り返しながら、飯森山に向かってゆるやかに上ってゆく。飯森山の手前にある鞍部を、左馬助は目指している。
山に近づくにつれて、山また山の重なりが深まってゆく。左馬助は大きく息を吸いこんだ。俗世を離れた気配が濃くなってゆく、この雰囲気が好きだった。
米沢から鬼面川を遡り、八谷の集落。ここが一番山奥の集落で、ここまでは左馬助も来たことがある。
平田の話では、先の猟師が降りて来たは枝道で、この村からは少しましな道があるということだった。
左馬助の愛馬を、ヨツグロと言う。葦毛の馬だが、四つの足首だけが、墨壷に踏みこんだかのように黒い。
水と秣を飼い、わらじを替えさせていると、村人と何かをしゃべっていた平田が戻ってきて云った。
「御馬はこの里へ置いてゆかれますように」
左馬助は、む、と口を曲げた。
「馬は行かれぬと云うか」
今日は狩装束ではあるが、いざ戦のときに兵を連れるは馬を連れると同義である。馬の通れる道かを確かめる必要があった。
平田はそれまでしゃべっていた村人と目を見交わした。平田の背にはかんじきと雪沓が括りつけられている。
「上の方にはまだ、雪が残るところもござります。道も険しうござりますによって、御馬に万一があってはなりませぬ」
駄馬ではござりますが、と平田は先の村人に馬をひいてこさせた。
「これを替え馬にして召されませ」
雪の支度をし、替えのわらじをたくさんぶらさげたその馬は、この辺りで荷駄をつねづね運んでいるとみえ、荒れた毛並みながらも頑丈そうに見えた。
左馬助は無言のまま頷いた。
村人が無愛想にヨツグロの手綱を受け取った。村長が鄭重に、
「皆さまの御馬は、此処にて山に慣らしておきます」
と深々と頭を下げた。
村を発った一行は、川を離れ、斜面の中を上りにかかった。これまで遡ってきた川を下に眺めながら、山肌を縫うようにゆっくりと上がって行く。
道は狭く、人二人が横並びになれない。馬も人も縦一列に並んで歩いた。
急、というほどの斜面ではなく、岩も少ない。山側を切っていけばもう少し道幅を広げられそうだ。
一丈五尺の道幅が街道の標準で、つまり一軍がまともに行動するにはそれだけの幅が要る。
(せめて一間半、いや二間の幅を取らねば)
左馬助はそう考えながら、道の先を見やった。ブナの木が葉を広げはじめ、淡い緑が枝先を彩っていた。
めざす鞍部は鬼面川の上流を詰めたところにあたる。一旦支谷へ入って崖を巻き川沿いに戻る。道が険しいわけでもなく、ガレ場というわけでもない。ただ、気がつけば遡行してきた川は、遙か下に水音を気配に残すのみとなっている。
「もっとも高い峠ゆえ、大峠と申します」
平田がそう言って稜線を見上げた。
「峠への道はござりまするが、これだけの人数が通るのは初めてだと、村の者が申しておりました」
道の方向が谷筋を大きく離れ始め、左馬助は不審を口にした。
「――どこへ行く」
平田が振り返らずに応えた。
「あの谷は詰められません」
崖や滝が多く、馬は行けないのだと云う。
「こちらの路も御馬は、さて――」
平田は言いよどんだ。
これまで川沿いにおおよそ南へ向かっていた道だが、日の方向からすると西へ向きを変え、再び支谷へ入ったようだった。
谷側の斜面が次第に急になりなってゆき、谷は飯森山の方に向かって切れこんでゆく。路肩ははなだらかに見えるその先から、川に向かって急激に落ち込み、ところどころに大きな岩が顔を出していた。
岩陰に残っていた雪が、道にもあらわれ、一行は雪沓を履いた。やがて水気をたっぷりと含んだ雪越しに泥を踏んで歩く。
平田が、不意に足を止めた。谷に橋の痕跡らしきものがある。
谷向こうで道はいっそう細くなり、木々はまばらに、急な崖から頼りなげに生えている。芽ぶきはじめた森が柔らかな光を導くこちらとは対照的であった。
左馬助は馬を下りた。
深く切れた谷からは雪解けの冷気が、しん、と上がり、どうどうと流れの渦巻く音が聞こえた。
「猿倉沢と申します」
平田が谷向こうを見据えて云った。
「冬は天候のよい時に雪渓をわたり、夏は仮橋を架けます」
もっとも、冬はよほど山に慣れた猟師しか通りませんが、と平田はこれまで左馬助が乗ってきた馬を見やると、思い切ったように云った。
「馬は連れぬ方がよいと存じます」
左馬助は大きな眉を寄せ、口を曲げて唸った。此処まで来て、何を云うか。
「……我らはいくさをしにゆくのだ」
この道では小勢にならざるをえない。此度の調略がうまく進んだとしても、徒歩ばかりの伊達勢を見て、松本備中は何と思うか。
「馬は捨てぬ」
怒鳴ると、左馬助はどかりと岩に座り込んだ。平田が眉を寄せた。
かまわずに左馬助は、ぎろり、と平田と案内の村人を見回した。
騎馬がもっとも苦手とするのは湿地である。古く粟津の戦で木曽義仲が討たれ、近くは相馬との戦で泥田に誘いこまれた伊達勢が手痛い敗北を喫した。
それに比べれば、斜面はさほど問題にならない。落馬せぬ熟練は必要だが、それだけだ。
「馬を通す道を拓くよう、申しつける。道幅は一間。算段は米沢の原田屋敷へ申し述べるよう」
案内の中で一番年嵩な男が、おずおずと平伏していた頭をあげた。平田が、さ、と近づく。
「この者の申しまするには」
猿倉沢まではまず道を拓くことができるであろう。沢には仮橋を二つ架けるようにする。沢の向こうは、崖地で道を切るのははかどらない。おとのさまには何時ごろのご出兵をお考えか。
おおよそ、そのような言上であった。
「夏のうちに」
と、左馬助は答えた。調略の話がついてからの時機、田畑仕事の忙と閑、そして内政外交の状態を鑑みて、夏までには征くかどうかの目処がたつ。そう考えたのである。
「平田!」
呼んで
「徒歩であれば、今この沢を渡れるな」
念を押した。
「御意」
との答を得ると、左馬助は大きく頷いた。
「そちはこのまま進み、かねての手配をせよ。会津側の道をも見聞して参れ」
承った平田が立ち上がり、先の村人とともに谷底へ降りてゆく。半刻ほどして、二人の姿が沢向こうに現れ、道を進み始めるのを確認して、左馬助は馬首をかえし、大きく息を吐いた。
行きには気にならなかった岩やゴロ石が、やけに目につく。胸にまでその石がつかえたかのような、苛立ちを呑みこんで、きっと頭をあげ、折り重なる山を睨みつけた。