
Hagiwara
米沢に戻った左馬助は、在所から掘茂助をはじめとする譜代の侍を数人、各自が信頼する小者とともに呼び寄せ、八谷の村へ派遣した。道普請の監督と応援のためである。
米沢で大きく人夫を募りたかったが、作戦の機密を守るためには避けねばならなかった。
五日ほどして、平田が戻ってきた。茂助も一緒である。
「――二つ返事、とは参りませんでした」
慎重な気性そのままに、平田の報告は交渉時にありがちな飾り気や山っ気がない。
「と、いうことは、最終的には肯ったということか」
左馬助は身を乗り出して聞いた。
「御意」
と、平田が答えた。
この話、乗らぬはずがない、と左馬助は思っている。一旦かかった嫌疑は、よほどのことがない限り晴れない。ならばいっそ、と思うのが人の心だ。
するすると話が進むもの、とどこかで思っていた。
「さりながら」
平田が続ける。
「関柴は、北は飯豊・大峠の山に囲まれ、東は檜原への道を堅固に守る大塩の城。さて喜多方でございますが――、松本太郎の乱以来、残る四天の衆がかわるがわる援勢に参るよし。大層逡巡なされました」
その淡々とした口ぶりに、左馬助は信頼感を持った。
「さもありなん。ただ叛しただけでは袋の鼠じゃ。我らの後詰に成否がかかる。――茂助」
道普請は如何だ、と左馬助は向きをかえた。
「当初の思案どおりの広さは難しゅうございますが――、とりあえず道を開くを優先しております。これは茂助の思案ではござりますが、」
茂助は日焼けした人好きのする顔をほころばせた。
「梅雨になる前に事を起こしとうござりますな」
この男は厳しい状況になると笑う癖がある。それがまた、からっと明るく笑うものだから、なんとかなりそうな気がしてくるから不思議なものだ。
果たして本当になんとかなることもあれば、ならずに頭を掻いていることもあるのだが――。
茂助は理由をあげた
今回の会津攻めは、伊達家中にも反対意見が多くあること。平田の報告にあるとおり、松本備中にも逡巡があること。
「皆の気が変わらぬうちに動かねば、時機を失います。そして何よりも――」
茂助の笑みが大きくなる。
「なんといっても急ごしらえです。大雨に道が崩れれば、此度の攻め口そのものが消え失せます」
「崩れぬようには?」
「さて、相手が山ゆえ確とはわかりませぬが、仮に檜原越同様に道を保つといたしますと、とても隠密には参りますまい」
「会津側の道は如何に」
尋ねると平田がかしこまり、
「猿倉までと似た体にて。雪はいくぶん少なうござりました。此度の案内の者――嘉兵衛と申しまするが、猟という名分でできうる限り道をつけると申しおります」
「あいわかった!」
左馬助は大きく膝を叩いた。
「お屋形にその旨言上いたす。両名は八谷へ戻り、道普請に精を出すべし」
果たして出陣は5月3日と定まり、左馬助は八谷の村に先発している者を中心に、関柴へ征く十騎を選んだ。道普請をできうる限り進めるため、入梅ぎりぎりの日取りである。選んだ十騎には、普請に参加しながらの道の下見、猟師に紛れての会津側への物見を重ねさせた。
政宗は米沢を発つと同時に長井の衆に陣触れ、檜原へ侵攻する。同日に会津領へ入るため、左馬助は前日に八谷へ入り、明くる払暁、小具足姿で進発した。1ヶ月余の普請で、道は十分とまではいえぬが、馬と口取りが余裕をもって進める程度には広がっていた。
猿倉の沢には二本の吊り橋が架けられ、馬を進めるとぎちり、と蔓縄が鳴った。一頭ずつしか渡れないが、渡った先の道が狭くなるのでちょうどよい加減だ。
左馬助も此所は馬から降りて、歩く。足元からは、どうどうと水の増えた沢の音が響いている。
ふと下を見下ろしてみたが、繁りだした青葉が谷を遮り、水面は見えず、ただ轟々とした水音が底から立ち上って左馬助をつつんだ。橋をかけるときに使ったらしい太い縄が二本、谷を渡してあった。
初めての道は遠く感じるが、慣れた道は早く感じるものだ。
未の下刻、順調に大峠に達し、つづら折れを下って少し開けた台地に出た。此所で長めの休止をとって物具し、馬のわらじをつけなおすと、平田を松本備中の元へ先触れに発たせた。できれば今夜は関柴の城に入りたい。
急峻な崖に切られた沢沿いの細い道を進んでゆく。ところどころに水が湧き出し、細い滝を作って急な斜面を落ちる。この水で道が濡れ、滑りやすいのが難といえば難ではあるが、ほかにさしたることもなく、途中の大きな岩を巻いて、夕刻にかかる頃、関柴の集落のはずれに出た。
坂を降りた先に木戸があり、民家の横に数十騎の物具した兵が見えた。左馬助は馬をとめた。
「との」
茂介たちが緊張の面もちで左馬助を見た。
「懸念に及ばぬ。敵なれば、平田の注進があるはずだ」
前方から将とおぼしき人物が馬上のまま進み出た。
「原田どのか」
「いかにも」
一馬身後ろに兵を止め、左馬助も進み出て駒を相対させる。
「それがし、松本備中――」
名乗りながら備中はじろり、と左馬助の兵を値踏みするように見回した。
「お手前の軍勢はこれですべてか」
「――お屋形さまは檜原よりお越しにならるる」
少しむっとして左馬助は答えた。
「此処は境目ゆえに――山の見張りもぬかりない。我らは侵入してくる伊達勢を迎え討つ、というて城を出て参った」
「先触れの者には」
「出あわなんだが――、噂は聞いたな。本日、伊達の軍勢越山す、と。その数、百騎とも云い、また五十騎とも云う。返り忠の噂も絶えず、敵の数定かならぬ。疑心暗鬼の衆は城より離れて様子をうかがうておる」
伊達勢を「敵」と表現した備中が、軽く片手をあげた。松明を手にした兵が何人か進み出た。火に赤く照らされた備中の顔に、深い皺が刻まれていた。未だ最後の決断を逡巡しているようであった。
左馬助は笑みを作った。
この流言は、小勢を侮られぬための、平田の才覚であろう。
――生かさねばならぬ。
ここが勝負どころ、と唾を飲みこみ、声を張った。
「境目のご守備、ご苦労お察しいたす」
自分の軍勢、そして備中の軍勢に目をやる。
「なるほど、我らは小勢。なれどお手前の手を合わせれば、何騎になろうや。檜原には長井の衆のみならず、伊達の衆も向かっている。今この時が手柄のたてどき、遅れれば名を下げよう。火の手をあげる方向を見誤らぬよう、熟慮が肝要と思うが、如何に」
備中の顔を見据えると、無言の対峙がしばし続いた。松明の火は、城からも見えているはずだ。汗が頬を伝った。
駒を一歩、備中の方へ進めたその時。
「――会津へ!」
大音声が聞こえた。
掘茂助が数騎とともに駆け出していた。備中が思わず、横を走りぬけてゆく茂助たちの方を見た瞬間、、
「火をかけよ、茂助に続け――!」
左馬助はあらんかぎりの声とともに采配を振った。
残っていた伊達勢が駆け出す。釣られるように備中の勢が動きだした。
備中が眉間に険しい皺をたてて自分の勢を見送りながらため息をついた。
「原田どの」
面をあげて左馬助を見つめた備中の顔つきが変わっている。
「ことなったあかつきには、檜原の金山差配まかせてもらおう」
「おおよ、その段、しっかと言上いたそう」
馬首をかえした備中に、左馬助は晴れやかに笑った。